2012年8月4日土曜日

深イイ話し!①

深イイ話し!その①

「ポスター(チラシ)になった、雨田光弘氏 原画 タイトル「A」のこと
~第35回福井大会がこの絵に托した本当の気持ち~

 日本フィルハーモニー交響楽団のこと

全国の読者の皆様。まずは事業所の玄関か廊下などにきっと貼って頂いてあるだろう「第35回きょうされん全国大会inふくい」のポスター(チラシ)を見てください。
(誰ですか? 「あっ!まだ送られて来たまんまの封筒が机の上に積んである~。 それも随分下の方やぁ・・・」なんてつぶやいている人は! そんなあなた、どうかそのあまりにも険しい山脈が崩れないようにちょっとすましたマジシャンのごとく一瞬のうちにサッと抜き取ってみましょう!!)
それでは改めてポスター(チラシ)じっくりと見てくださいね。まずは絵の右上に小さく記されている文字。
〔原画〕雨 田 光 弘  タイトル:「A」 〔Present〕日本フィルハーモニー交響楽団 となっていますね。

 「日本フィルハーモニー交響楽団」と言えば、その演奏は日本でも3本の指に入るといわれ、もちろん世界でも高い評価を得ています。また「市民と共に歩むオーケストラ」として子供たちからお年寄りまでの幅広い層にクラッシックの普及と何よりユニークなその演奏活動で好評を博しています。
そのすごいオーケストラの元首席チェリストでいらっしゃったのが雨田光弘氏であり、日本フィルハーモニー交響楽団が〔Present〕そうなんです。何と私たちの「35回全国大会」のためにこの原画の版権をプレゼントして下さったのです。もうこれだけでも熱心なファンの方にとってはたまりません!Tシャツなど大会グッズの使用にもご快諾を頂いています。

 かつて「日本フィルハーモニー交響楽団」は、文化放送によって創設され、後にフジテレビ放送開始後はフジテレビの専属オーケストラとして活躍していたのですが、国や資本による芸術・文化に対する「市場主義・経営主義」の横暴が、1972年に財団解散、全員解雇という事態を巻き起こしました。
会社側の様々な嫌がらせと団員同士の分断攻撃の中にあって、電気の切られた真っ暗闇の建物の中で、ロウソクの光だけを頼りにしながら、めいめいが階段やトイレの脇などでいつも懸命に練習をしていたという話は有名です。まだまだ社会も何より演奏家たち自身が「芸術家が労働者であることは恥ずかしいこと」という時代背景の中にあって、その姿は「音楽家」として、また「私たちも労働者」という誇りと怒りに脈打っていたに違いありません。
「闘争やストライキをする芸術文化はいらない」という当時の社長のコメントが残っています。しかし「日本の芸術・文化を守れ!」日本フィルは演奏を続けながら正義の闘いの道を選択したのでした。
全国各地をまわり自主上演のコンサートを展開しながら、各人が楽器をひっさげて町工場の昼休みでも、夜の小集会でも、飲み屋さんのカウンターまでどこへでも出かけて行っては、バイオリンやトロンボーンの独奏、ときに小編成ブラスを演奏しながら、支援してくださいと訴えて歩いたのです。折しも多数の犠牲者を出した夕張炭鉱落盤事故で悲しみにくれる現地の人々を前に駆けつけそしていくつもの街かど、路上にて演奏し励ましました。そうしたひたむきな活動によって、いつしか小規模の地域コンサートが職場や住民の生活圏の中に無数に創造されていきました。全国のほとんどのオーケストラが参加した世紀の大支援コンサート「頑張れ、日フィルコンサート」も開催されました。
そして必ずその終章には、シベリウス作曲交響詩「フィンランディア」(は~い、ココ憶えておいてくださいねぇ!テストにでますよぉ~?)が演奏され歌われたのでした。
こうして争議支援の波が全国の働く人たち(同じ労働者として)や一般市民の中に波及していき、とうとう1984年、争議は全国の働く人たち、一般市民そして音楽ファンの支援に包まれて見事な勝利解決を迎えたのです。 (つづく)

⇒詳しくは、今崎暁巳 著「友よ未来を歌え」、「続・友よ未来を歌え」、映画 神山征二郎監督「日本フィルハーモニー物語 炎の第5楽章」をぜひご覧ください。 
 
2012年8月1日  きょうされん理事  福井支部  具 谷 裕 司

2 件のコメント:

  1. 日本フィルハーモニー「交響楽団」のことでしょうか?

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    1. ありがとうございます。この間様々な印刷物も含めて大変な誤りをしていたようです。ご指摘いただいた「日本フィルハーモニー管弦楽団」は、「日本フィルハーモニー交響楽団」の誤りです。今後の対応については実行委員会にて検討させて頂きます。ご指摘通りの誤りについて謹んでお詫び申し上げます。

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